おそらくは半茶のblog

流行に乗り遅れてはいかん!とブログをはじめてみたおっさんです。

針井探偵事務所(2)

事務机には真ん中に深めの丸い傷とその横に縦の浅く長い傷がついていた。
「・川」……「点川」という名字はあまりないから「丸川」?ダイイングメッセージかも。しかし誰が探偵事務所の机にダイイングメッセージを残すのだ。第一誰も死んでいないではないか。
ノックもせずにスーツ姿の男が入ってきた。
「今、妻がここから出てくるのを見た。ここは何だね?まさかいかがわしい仕事ではないだろうね」
「ここは探偵事務所で、わたしは所長の針井探偵…」
最後まで言い終わる前に男は私の胸ぐらをつかむ。
「妻は探偵に何を依頼した?」
私のネクタイをつかんだ指と爪は手入れがなされていたが、小指の爪が白く汚れていた。スーツの仕立てを見るとなかなかの高給取りのように思われる。しかしどことなくくたびれていた。
「よし、金は払う。妻は何と言っていた」
私が黙っているとは言え、どうしてこう人の言うことを聞かない人ばかりなんだ。
「あなたの奥様は何も言わずに帰って行きましたよ。まあ、愛人宅から直接ここに来たとはいえ、もう少し落ち着きなさい」
「な、なぜそれを」
「あなたの小指の爪は白く汚れている。マニュキアを除光液で急いで拭いたからだ。あなたが自分でマニュキアを塗ったとは思えない。女装趣味の可能性も考えたがあなたからは女性用香水は匂ってこない。何故小指だけ塗ったか。それは全部の指を塗ると、貴方が気がついてしまうから、つまり茶目っ気を出して、貴方が寝ているうちにイタズラで貴方の小指にマニュキアを塗った人がいる。貴方が気がつかなくて帰宅し、気がついた奥様と喧嘩することを期待した人物がいる。こんな休日の午前中に昨日のスーツ姿でここに来ているということは着替えのある自宅ではないところからここに直接来たということだ。あなたは出かける前に爪のマニュキアに気がついて除光液で拭き取ったが……」
「よく喋る奴だ」
男はあきれた顔をして私のネクタイから手を離した。
「ここは相談だが、妻には浮気のことは報告しないでいただけないか」
「それはお約束できません。あなた方は夫婦なんだからお互いの愛情の存在を確認する義務がある。愛情を保つことが出来なければ責任もって別れる義務、または最構築の努力をする義務がある。あなた方にお子さんがいれば、養育する義務、教育を受けさせる義務。一人前になるまで見守る義務。そしてなによりも貴方が一人の人間として、自分のパートナーに正直に向き合う義務がある」
男はハットなにかに気がついたような表情をした。
「私は大切な何かを忘れていたようだ。家に帰って妻と真剣に話し合ってみるよ」
「それがいいような気がします。奥様もそのようなことを言っていたような気がします」
男はドアに向かって歩き出す。
「探偵さん、ありがとう。しかしまだ今は午前中だ」
「午前中だからなんだね?」
「義務列挙には早すぎるよ」
男は事務所を出て行き、私はまた机の傷を眺める作業に戻る。