おそらくは半茶のblog

流行に乗り遅れてはいかん!とブログをはじめてみたおっさんです。

ひとりっ子 グレッグ・イーガン ハヤカワSF文庫

テクノロジーの発達により、常識やモラルが変容してしまった様子をいきなり突きつけるという手法に慣れてしまったせいか、期待ほど楽しめなかった。変化が問題となる常識やモラルの土台が西洋文化というかキリスト教的というか。
「行動原理」自由意志がテーマ。我々は生かされているという仏教的な観点からは、作者が何を問題としているのかというところから考えなければならないので面倒。
「真心」愛の固定化の話。日本での理想の夫婦の形の一つは、恋愛感情が昇華してお互いが空気のような存在になることである。ということからすると、この短編のテーマは、何を問題として何を追及しているのか、理解するのに苦労する。恋愛至上主義だから離婚するということがよくわかる。
「ルミナス」我々と異なる数学世界が存在するかについての考察。これは面白かった。短編のせいか、丸く収まっているが、このアイディアで長編を書くことができればカタストロフィー全開の傑作(もしくは失敗作)となるだろうに。イーガン書かないかなあ。
「決断者」また自由意志だよ。どうして自由意志があるというふうに無邪気に信じることができるのだろうか。
「ふたりの距離」お互いに理解し合いたい、一つになりたいがそうはならないというのが恋愛感情。では、理解しあって一つになった状態を達成したらどうなるかという思考実験。日本での理想の夫婦の形の一つは、恋愛感情が昇華してお互いが空気のような存在になることである。ということからすると、この短編のテーマは、何を問題として何を追及しているのか、理解するのに苦労する。恋愛至上主義だから離婚するということがよくわかる。
「オラクル」無限に存在する平行宇宙に対する憐憫という非常に特殊な感情をテーマとしている。そういうのは神か仏に任せておいたほうがいいような気がするのだが。人間の手には余るのではないか。
「ひとりっ子」量子効果による平行宇宙の発生を起こさない思考機械がテーマ。であると読んだのだが正しいだろうか。上記のテーマと一つの勇気が人生全体に与える影響というテーマと思春期の娘の反抗というテーマがどうも私の頭の中で一つにならない。知覚できない他の平行宇宙に感情移入できないからであろうか。

とうことで出島の阿蘭陀人を望遠鏡で覗いて観察しているような読後感。つまらないかといわれればそんなことはなかったが、どうも感情移入というか親身になって考えることが出来なかった。