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おそらくは半茶のblog

流行に乗り遅れてはいかん!とブログをはじめてみたおっさんです。

権現の踊り子 町田康 講談社文庫

 古典落語は、その語られる内容は周知のものであり、情報学的な見地から言うと情報量は0である。それが何故いまだに語られ、聴かれるかというと、何が語られているかよりも、どのように語られているかが重要であるからだ。語りとは音でありメロディでありリズムでありグルーヴである。そのような見地から言うと、古典落語は小説よりも音曲に近い。
 私が町田康中原昌也の小説を読む時は、内容は二の次で、そこに記されているメロディとリズムと音色とグルーヴを聴く。なぜならそれが心地よいからである。そしてそこに記されている内容というものは、現実というものがたいしたものではない程度にはたいしたものではないからである。
著者初の短編集だそうで。
なにやら、リズムと構成が短編の長さとイマイチ、シンクロしきれないうちに終了している雰囲気。それはそれで面白いけれども。やっぱ、長くうねうね続く方が町田康には合っているような気がするのだけれども。