おそらくは半茶のblog

流行に乗り遅れてはいかん!とブログをはじめてみたおっさんです。

まとまらない夏【第一部】

「ウナギ」のように長くうねって黒光りしているトンネルを抜けるとそこは「犬」の国だった。
夜の底がシロとなった。犬の国の駅長さんはやはり犬だった。

隣の座席の人が読んでいるのは「『インターネット』は空っぽの洞窟」であった。インターネットが空っぽの洞窟であると主張するなら、人生も同様にまた空っぽの洞窟であろう。両者にどんなちがいがあろうか。インターネットが子供に有害なら、また人生も子供に有害である。インターネットの鬼畜度が高いのは、それは社会の鬼畜「度っぷり」が高いのである。それが有害であると避けるのではなく、運命(デステニー)だと受け入れ、知恵をもってその運命を乗り越えるしかない。(「デス知恵にー」)

さて洞窟といえば蝙蝠。蝙蝠と言えば福砂屋のマーク。長崎のカステラと言えば、文明堂が有名であるが、地元の人にとっては蝙蝠のマークの福砂屋の方がグレードが上である。人に迷惑をかけて謝罪する時の手土産は福砂屋に限る。間違って文明堂を持っていくと「なるほど、こいつは俺のことをその程度にしか見ていないな。」と思われてしまい、その場は納まっても後々大変なことになってしまうのである。地方における付き合いも大変である。これを称して「惨事のおやつは文明堂」と言う。

福砂屋といえば、私が子供の頃、長崎でTV放映されていたバットマンの提供は福砂屋であった。ローカルな話題で申し訳ない。バットマンは何度も映画になっているが、バットマンビギンズがあるのならバットマンエンディングもあってしかるべし。スパーヒーローの時代の幕を「引き、蝙蝠(こもり)」はアメコミから撤収する。

 古池や 蝙蝠飛び込む 水の音。

超人をやめて「廃人」いや俳人(「ハイジ」ン)となったバットマンは諸国を放浪する。

 「どちらかと 言えば ウズベキスタン人」その「面」(つら)は

上野公園で不法滞在の外国人からテレフォンカードを買ったときに読んだ自由律俳句である。

 「アルペン」に「巨人大鵬たまごっち」

スイスの山の麓で、日本人観光客が置いていったゴミを見たときに抱いた感慨を読んだ自由律俳句である。ゴミと言っても不燃物ばかりである。地元の人たちが始末に困るではないか。不燃禁止。不燃禁……よそう。もう、この話はよそう。

 「今日の味噌汁はビーフストロガノフ風」だよ「ヤン坊

「マー坊」いつもすまないねえ。それは言わない約束だよ。という光景を見た感慨を読んだ自由律俳句である。

 捏造は お手の物だと 大新聞

日本で一二を争う大新聞が、実は昔から捏造記事の前歴があるということを知った感慨を読んだ伊藤律俳句である。

と、バットマンの行く末に思いを馳せているうちに列車は動き出し(電車で「GO」)、そしてまた人生は流れ始める。そんなたいそうな。

まとまらない夏【第二部】 - あやうく半茶になるところだった